プロフィール

長崎県生まれ。画家。画材は油彩、水彩、パステル。

日本表現派準同人。パステル画インストラクター。

絵画製作を行う傍ら、愛知県を中心にパステル画講座やグループ展を開催して、
愛知県中心に活動しています。

私は、大人になって画家を志しました。

絵の道に駆け出しの頃、基礎からがいいかなと鉛筆デッサンを始めました。

絵画教室の門をたたき、最初に描いたのはグラスはじめに頂いたアドバイス

「小さいですね。もっと、大きく描いていいですよ」

小さい…

まるで、自分の心の中を写し出した絵のように見えました。

なお、私は左利きですが、字だけは右で書きます。これは、小さい頃の習字によります。デッサンをやりはじめたとき、右で描こうとしましたが、

どうにもぎこちなくて仕方ない。つい反射的に左に持ち替えました。

そしたら、スッとまっすぐな線が描けました。何か殻を破るような瞬間でした。

殻とは何か?大人になって絵画をはじめた私が、その絵画となったきっかけは、幼少期に遡ります。



絵を描くのが楽しくて仕方なかった幼少期から小学校


父が銀行員だったので、幼少期は、仕事の都合で、転勤が多かったです。

母曰く、どこに預けても、マイペースに周りに馴染んでいく子供だったらしいです。

長崎県諫早市で生まれ、幼少期は、福岡市、長崎県対馬市と過ごしました。

福岡の頃の記憶はありませんが、対馬では、比田勝という島の北部に位置する港町で過ごしました。

対馬の頃の2つの大きな記憶があります。

1つ目は、頑張っても、常にドベだったかけっこ。

「ヨーイ、ドン!」のかけ声とともに、「ヨッシャ!いくぞ!」という意気込みで走りましたが、どんどん突き放されていく…

運動では絶対無理と完膚なきまでに打ちのめされた思い出です。

2つ目は、絵。

比田勝ではするめのカーテンと、きれいな海があり、

九州からフェリーが立ち寄る港でしたので、

小学1年生のスケッチ大会では、港の船を描きました。

その時、大きなフェリーを描いたら、特選に選ばれました。

また、「大きなカブ」という童話をもとに描いた絵が、

文化賞に選ばれました。自分でも、よく分からず、入賞してましたが、絵を描くのは何の苦もなく、楽しかったです。

頑張っても追いつかないかけっこと、楽しく描いて入賞した絵は、私にとって、スポーツと芸術は対極な存在です。

小学2年生の時に長崎市に引っ越しました。

長崎市内では、野球やドッジボールなどで、皆、球技で遊んでいて、山や海で遊ぶ対馬とのギャップを感じました。

でも、持ち前のマイペースな性格で、皆の輪に入って遊んでいました。

小学校の悩みは、体育と給食の時間。

どう凌ぐかばかり考えてました。

その対極にあったのが、やはり絵の時間。

校庭のドッジボールより、一人の友人と一緒に、自由帳に、マンガやゲームキャラクターを描いてました。

当時は、漫画では「ドラゴンボール」「北斗の拳」「魁!男塾」、ゲームはドラクエやFFにはまり、それをベースに考えてました。

作品をクラスメイトに見てもらうのが、楽しみでした。

また、スケッチ大会で描いた

美味しく芋を食べる人

絵を描く人

長崎くんち

浦上天主堂

などの題材に描いたことを覚えてます。

ここでも、入賞!

絵を描くのが楽しくて仕方ありませんでした。

担任の先生から、作品を見て、

「お前の作品て、なんか人をひきつけるものがあるね」

と言われました。

絵描きを目指そうかとちょっと思ったりしてました。

走ってもドベなんで。

好きより、カッコよさに憧れる10代


小学校高学年からの頃は、純粋に好きなことを楽しんでいましたが、速く走ったり、スポーツできるのは、やはり羨ましい…

ということで、芸術の対極にある運動であるサッカーを始めました。

ここから、人生の分岐点です。

サッカーでは、走っても走っても追いつけず

(持久走は、まあまあ、走れてましたが(笑))

掛け声と、フィールドの端のスペースで、ミニゲームの励む日々。

高校では、とりあえず、大学に行くものだと思い、

地元の進学校に入学しました。

文武両道と勉強にも部活にも真面目な学校で、普通科に進学

「君達は日本の将来を担う」と入学式のときに言われました。

さらに、最初の体育の授業で行進。

軍に入隊した気分でした。

授業中は一切会話がなく、朝は0時間目から始まる。

山のような宿題があり、クーラーのない部屋での夏季補習

拘束時間が一気に増えました。

絵は?と言いますと、音楽と美術は選択科目でした。

兄弟のアドバイスで、「音楽は大きい声で歌えば、点数はとれて楽」があり、音楽を選択。

好きなことは二の次で、楽に上手くこなすという発想が生まれました。

あれだけ好きだった絵からも離れて、

5教科(数学、国語、英語、理科、社会)の中で好きなことを探し、

世のための生きる、まさしく普通科のサラリーマン人生への階段が始まりました。

楽に上手くと考えている割に、成績は伸びず、自分の立ち位置がわからなくなりました。

長崎は坂の街で有名ですが、私が通っていた高校も山の上にありました。

学校の帰り道、山から見下ろす浦上天主堂を見ては

遠くの世界に、もっと楽しくて知らないことがあるのではないかと遠くの世界に憧れを抱きました。

大学での新生活


地元を離れて、理系の大学へ進学。

普通科男子から理系君になったのは、理数の方が得意だったのと、科学と身体のことに興味があったからですかね。

大学生活は、高校での拘束ストレスから解放され、バイトしながら、いかに飲み遊ぶかばかり考える日々。

友達との飲みでの会話の中で、

「自分の得意なことて何だった?」

と聞かれて、

「絵は得意だったかなあ」

と答えました。

そしたら、

「はあ?絵??ふーん、お前の絵を見てみたいね(笑笑)」

と笑われたことを覚えてます。

大学を卒業する頃、将来のことを真剣に考え始めました。

その頃、身体のことに興味があり、医療に関する仕事をしたいと思い、医薬品の研究者を目指すため、薬学の大学院に進学しました。

人生一変する意気込みで挑んだ大学院。

研究室選びのため、いくつかの研究室の教授にアポをお願いしました。

広島まで足を運び、研究室の門を叩きました。

そこで、出会った教授の一言

「人生も研究も情熱だ!」

なんて熱い人だ!

よし!ここで頑張ろうと決意!

試験も合格し、いよいよ大学院生活スタート。

最初に、研究テーマを選ぶため、教授と面談。

「君は何が好きなの?好きなことが個性なので、それを伸ばすといい。」

という問いに対して、

「絵が好きです」

「はああ?絵描きでもなりたいのか?」

何しに来たのかと言わんばかりに、

「もういい(怒)君には何もないから、死にもの狂いで研究しろ」

と言われ、顕微鏡の開発がテーマになりました。

理系の大学院に来たのだから、絵を好きというのはトンチンカンな回答で怒られるのは当たり前で、入学する前にちゃんと話しておけよという感じですが、

好きなことは?と聞かれて本音が出ちゃいました。

この頃から、自分の思っていることとやっていることの違いを感じはじめました。

それから、試練の日々が始まります。

皆と同じことをやっても怒られ、

皆と違うことをやっても怒られる

と愛の鞭が飛び交う日々。

「先生、期待している人には厳しいけど、頑張ってね」

という周囲の言葉から、自分は期待されていると信じて研究に励みました。

それでも、教授と教授のお気に入りの学生と楽しく話しているところをみると、次第に自信もなくしていきました。

そんなとき、出会った一冊の研究ノート。

学校を主席で修了した方のノートでした。

今日は、この実験をやってみよう

ああ、失敗したあ、くじけるな

と日記のようなタッチでしたが、自分の実験の成功や失敗、考察を楽しく書いている。

好きなことをやっていることがノートから伝わってきました。

それと同時に、私は研究がそんな好きでないことがわかりました。

自分で決めた道なのになあ

意気消沈。

でも、自分で決めたことなので、最後までやり遂げようと研究の励み、就職先も見つけて、大学院を修了しました。

大学院では、自信損失と、予定とは違う人生の一変でしたが、学生時代最後にやり残したことはないかと考えたのが、海外一人旅。



世界の広さを知った海外一人旅


 一人旅で選んだ場所は、オーストラリアのパース。

英語圏で行きやすい国で、少しマイナーなところという理由でした。

初めてだったので、一人でウロウロ周るより、現地の人と触れ合うショートホームのプランを選びました。

シンガポール経由でのフライトでした。

しかも、ビジネスクラス!

学生生協で手配したフライトで、フライトの違いを理解していませんでした。

さらに、シンガポール空港に着いたときにあることに気づいたのです。

それはオーストラリア行きは翌日になっていたことです。

つまり、空港で一晩過ごさないといけないということですが、

空港のどこに泊まればいいかわからない。。

途方に暮れました。

「Where is sleeping room?」

と言って聞きまくり、トランジットホテルがあることを知りましたが、高かったので、結局、椅子で寝るはめに。

でも、なんだか生きる意欲を感じました。

翌朝、いよいよオーストラリア行きの飛行機に。

飛行機の窓から見下ろす広大な砂漠地帯が印象的でした。

空港に到着して、車でショートホームステイ先に連れていってもらいました。

英語は話せなかったけど、挨拶のために用意していた一言

それは「My name is Kenji Kawachi.」

いよいよ対面。

と思ったら、

「Hi! Kenji!」

て俺の名前知っているじゃん…

返しに困りました(笑)

でも、得意のマイペースぶりで、

溶け込んでいきました。

ホームステイ先にあった一つの抽象画がありました。

ホームステイ先の奥様は絵描きとのこと。

家にはプールがあり

夜はプロジェクターで映画をみて

お酒も庭で飲む

日本にはないゆったりと自由な生活を目の当たりにしました。

一人でオーストラリアを周る中で、生きる力を取り戻しました。

英語は話せなくても、旅行ができたこと

TOEIC が何点とか関係なく、海外で会話できたこと

逆に、後ほど、英語を話せるようになって、海外出張で行ったフィリピンでは盗難にあってしまいましたが、

英語力は旅行に影響しないのです。

行動する前に悩んでいたことは、いかに無駄か痛感しました。

自分が見てきたものは何だったのか?

自分が知らないことはもっとあるのでは?

もっと自分の世界を広げたいと気持ちで、社会へと飛び込みました。

自分を探す社会人生活


新しい自分と出会いたくて、社会人になって、始めたこと

それはギターです!

仕事以外の趣味がほしかったのと、実は、大のロック好きなんです。

中学校のときに、布袋寅泰さんがテレビに出演して、そのプレイに感激。

高校の時は、勉強の合間を見つけてはロックを聞きまくってました。

ギター教室にも通うようになり、芸術の方向に少しずつ、シフトしていきました。

はじめはエレキギターを習ってましたが、クラシックギターの方がいろいろできることを知り、クラシックギターを始めました。

クラシックギターを習い始めたころに聞いた話で、

バロックを弾くなら、ヨーロッパの教会に行った方がいい

ということです。

古典派のバロックは、教会の音楽だったという理由です。

オーストラリアでの体験もあり、海外に想いを馳せる日々。

そんな中、舞い降りた話、

それはタイへの赴任のお話

タイに行くので、いろんな国を見たいと思い、ユーラシアの国々をバックパッカーとして旅をしました。

まずは、クラシックの本場のオーストリアとドイツ!

教会がすごいには当たり前で、街全体がアトラクション

中世にタイムスリップした気分になりました。

その後、芸術の都と言われるフランスのパリとスペインのバルセロナにも旅しました。

パリは、すべてがおしゃれと聞いて、おしゃれなものを探しました。

最初に目に止まったのは、木

木のラインが人のように見えました。

パリは木もオシャレなんだあ

この時の木の印象は後の公募展の出品作品に生かされてます。

スペインのバルセロナでは、ガウディの生命をモチーフにした数々の建物から、世界が踊って見えました。

さらに東南アジア、インド、中東、イスラエル、ヨーロッパ諸国、アメリカを周りました。

旅の最後は、パキスタンのフンザ。

バックパッカー憧れの地でした。

フンザは、映画「風の谷のナウシカ」を感じる美しい村。

気付いたら40か国以上の国をまわってました。

旅で見た数々の感動がありました。

でも、その感動を表現できない自分に気づき、勿体無い気がしました。

これが、音楽家や映画監督なら、表現できるんだろうなあと自分の生き方に壁を感じました。

一人旅も飽きたころ、仕事も忙しくなり、人との出会い、別れを繰り返す中、自分の人生にある疑問を感じました。

自分は何をやりたくて生まれてきたのだろう?

棺桶に片足突っ込んで、面白かったと思える人生か?

世界中の人が、ノーと言っても、やりたいことは何?

そんな中、2人の自分が会話しました。

俺A 絵…(ボソ)

俺B えっ

俺A 絵...(ボソボソ)

俺B ええ!?

俺A 絵を描こう!!!

と心から声が湧き出てきました。

幼少期のころ、港の船を楽しく描いていたこと

小学生のころ、クラスメイトがドッジボールをしているのを無視して、自由帳に絵を描きまくっていたこと

小さいとき、あれほど、好きだった絵はどこにいったのか?

スポーツできた方がかっこいい

優秀な成績をとらないといけない

安定した仕事につかないといけない

かっこよく、上手に生きることばかり考えて、自分の大切なものを見失っていたことに気づきました。

よし、絵を描こう

と絵を描き始めました。

以上が私の絵を始めるお話になります。

当サイトを立ち上げた理由


 右往左往を繰り返して、絵を描くことに立ち戻った人生ですが、その中で、もう一つ、大事な出会いがありました。

それは、社会に出たころ、出会った、ある事業家の言葉です。

その言葉とは

「本業は人生!」

本業は、仕事でなく、どう生き方をしたいかです。

豊かな人生とは、お金、時間、仲間、健康、生涯現役の5つのバランスと思います。

そういったバランスも、まず、自分がどう生きたいかという自分のライフワークに気づくことから始まります。

自分のやりたいことは、見つけるよりは、ずっとそばにいて、それが妄想や世間体などの殻から抜け出す、または雲に隠れてしてしまったものを振り払うようなことに思います。

冒頭にお話した殻ですが、それは人に変と言われたらどうしようという妄想だったのです。

この妄想を振り払って聞こえてきたのが、幼いころの絵になります。

妄想や世間体に囚われていると、自分が何がやりたかったことを忘れてしまいます。

まだまだ、画家としては未熟ですが、

誰でも描ける時代の中で、絵を志す一人の日本人として、当サイトをご覧になられる方の本業である人生のお役に立てることができると幸いです。